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May 01 気持ちよく、死ねるか?4月29日のみどりの日。生まれ故郷の茨城県常陸太田市で、130人の人と1300本の木を植えた。
これは、去年、常陸太田市に合併された里美村というところが3年前に「100年後の杜をつくりたい」というスローガンで始めたプロジェクト。常陸太田市になっても、100年の杜づくりは継承され、市内だけなく、市外からも木を植えるボランティアの方々がたくさん来ていた。
なぜ、ここで木を植えることになったかというと、これがまた面白い巡り会わせで、富士山からアースデイ会場の代々木公園を目指して歩き始め日の朝に中学の同級生から電話があった。
「アースデイが終わったら、田舎に帰ってくるの?」
「うん、ポールと帰るよ」
「じゃあ、せっかくだから、こっちで講演会とか、なにか、やろうよ。協力するよ。なにか、やりたいことある?」
「ほんと?ありがとう。じゃあね、市長さんと木を植えたい!!」
そのときは、ぽろっと口から出た言葉が、まさか実現するとは思わなかった。でも、数日後に、同じ友人から電話があって、4月29日には「100年の森構想」というプロジェクトのために植樹祭があるから、ちょうど市長さんと木を植えられことになったよ!、というのだった。
そして、地元の同級生がみな協力してくれ、ポールと常陸太田市長さんとふるさとグリーン振興機構の会長さん、そして、森林(杜)づくり隊のみなさんと、楽しく木を植えることができたのだった。
今から100年後を目指してコツコツと木を植えましょうというこのプロジェクト。100年後にこの森を見ることができる人は、私も含めて、いないわけだけれど、でも、未来のために豊かな森を今から作ろうという素晴らしいプロジェクトなのだ。
100年後なんて、どうせ、自分は生きていないし・・・なんていう、了見の狭い話ではなく、「今、気持ちのいいことをしよう」という気持ちのいい人たちの集まり。 一緒に木を植えたおじさんは、こんな話を私にしてくれた。 「俺は仕事人間で、親の死に目にも会えなかった。だから、このままじゃ、三途の川も気持ちよく渡れないと思ってね、定年してからは、木を植えるボランティアをして、あちこちへ行って木を植えているんだよ」 そう。たぶん、そういうことなのだ。木を植えるのは、もちろん地球のためになることだけど、「いいことすると、気持ちいい」というシンプルなことなのだと思う。 そんなことを考えていたら、結局、シンプルな結論にたどりついた。
「今日、気持ちよく死ねるか?」と考えながら生きていれば、今日、自分が何をしたらいいかがわかる。
憂鬱なまま通勤電車に乗って、したくない仕事に1日を費やして、「果たして、今日、気持ちよく死ねるのか?」
吸殻を道端に捨てたり、ゴミを富士山に捨てたりして、「気持ちよく死ねるのか?」
人の魂は、だれのも清く善意でできているのであって、そんなことをしたら、きっと心の奥底で「気持ちよくない」信号が発信されているはずなのだ。
そして、それを見過ごして、今回の人生を終えてしまったら、死後、自分の人生を振り返って、なんとも、「気持ちの悪い思い」をすることになると思う。
私は、だいぶ、「気持ちよく死ねる」ようになってきた。今までためこんできたドロドロした感情は大分、吐き出されてきれいになったし、毎日、寝る前に「何の心残りも無く、気持ちよく眠れる」ようになった。
木を植えるのは、気持ちがいい。
歩くのは、気持ちがいい。
気持ちがいいから、続けている。
そのシンプルさが、また、気持ちいい。
March 06 まだ、抱いているこんな話を読んだことがある。うろ覚えだから、正確ではないかもしれない。 ともかく・・・ あるとき、禅の高僧と若い弟子が川沿いの道を歩いていた。 すると、しばらく行ったところで、若い女が川で溺れかけているのに気がついた。高僧は迷わず川に入っていき、弟子も後を追って川に入った。二人は溺れかけている女を抱き、ようやっとのことで川岸へたどりついて女を横たえた。 そうして、二人は目的地へ向かった。 後日、若い弟子が高僧のところへ来て言った。 「どうしたらいいのでしょう。人助けとはいえ、私は若い女を抱いてしまいました。あの日以来、あの女のことが頭から離れません。私はどうやって身を清めたらいいのでしょう」 すると、高僧がこう言った。 「なに、おまえ、まだ、あの女を抱いていたのか。私はとっくに手放しているぞ」 なぜだか、この話。ずっと心に残っていた。 「まだ、あの女を抱いていたのか」というセリフが、ずっとずっと胸の中で渦巻いていた。「なに、おまえ、まだ、過去を抱いていたのか」と言われているような気がした。 そう。過去を抱いているから苦しいのだ。いつも、現在(いま)に在り、現在(いま)の中に生きること。 きっと、それができたら、身軽になれる。 |
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