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    December 25

    与えることは自分への贈り物

    メリークリスマス!!

    今日は、ポールからのクリスマス・メッセージを翻訳したのでお届けします。

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    約2000年前の今日、奇跡が起きました。それが何だったのか、未だに定かではありませんが、その日の精神は今でも引き継がれ、イエス・キリストの誕生日は今でも世界中の人々に祝福されています。

    キリスト教徒にとってイエスは聖母マリアから生まれた神の息子であり、イスラム教徒にとっては預言者として崇められ愛されている存在であり、仏教徒にとってのイエスは悟りを開いた存在です。そして、私とってのイエスは、「与えることは自分への贈り物である」という精神そのものです。

    与えることは時には難しく、与えるためには犠牲を払わなければならないこともあります。自分の時間やエネルギーを犠牲にしなければならないこともあります。

    イエスの生涯を通して、犠牲とは痛みと苦しみであると解釈されていますが、私は、「イエスは、生涯を通じて計り知れないほどの至福に満たされていたに違いない」と思っています。イエスは、盲目の人の目を見えるようにしたり、足の不自由な男を歩けるようにするといった数々の奇跡を起こしたのですから、幸せでなかったはずはないと思うのです。

    自分を犠牲にするということの中には、不思議な力が宿っています。自分以外の人のために何かをし始めると、人生に起こることのすべてが贈り物になり、楽しい出来事のつながりとなり、その人の人生に起こること全てが、誰もが分かち合いたいと思うような宝物になるのです。そして、与えれば与えるほど、どんどん受け取ることができるようになり、愛する者に贈り物を与えれば幸せな気持ちになり、喜びを経験し、至福に浸り、とても気持ちがよくなるのです。

    私たちは、自分を与えることによって内なる場所に空間を創り出します。すると、その空間を今度は宇宙が満たすようになり、私たちはさらに、他の人に与え続けられるようになります。そして、与えれば与えるほど、宇宙もあなたに与えてくれるようになります。あなたが他の人に与えると、他の人は幸せになり、それによってあなたも幸せになり、あなたの人生は完全に幸せのポジティブなサイクルになるのです。マザー・テレサの喜びや、ネルソン・マンデラの喜びを見るとわかるでしょう。犠牲を払うことの中には、人生の贈り物が隠されているのです。

    みなさん、楽しいクリスマスをお過ごしください!
    そして、どうかあなたの「宇宙の預金口座」に新年の富と喜びが流れ込みますように。

    ホーホーホー!

    Paul Coleman
    ポール・コールマン
    December 20

    平和のメッセージの発信

    12月23日に沖縄県糸満市で行われる「平和のメッセージの発信」のために、たくさんのメッセージが続々と寄せられています。

    一つ一つを読むたびに、心の中に温かい火が灯るようです。
    みんなが、平和について思いを馳せることそのものが、平和の光を一つずつこの世界に増やしていくのかもしれません。

    このアイディアを出し、「実行しましょう」と言ってくださった糸満市の大木さんに感謝です。大木さんのアイディアがなければ、こんなにたくさんの人の心の中にある「平和の光」を見ることはできなかったでしょう。大木さん、そして、メッセージを寄せてくださった皆さん、ありがとうございます。

    今日は、これまでに寄せられた皆さんからのメッセージをご紹介します。

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    私は『繋がりの中で生きる』という言葉が好きです。
    人と人との繋がり。食物連鎖。自然と繋がる持続可能なライフスタイル。
    たくさんの人が、繋がりの中で、生かされているという事に気づき、手と手を繋いで、ライフステージをのぼったとしたら、きっと、より早く世界平和へと繋がっていく事でしょう。
    皆様のご健康とご多幸を祈っています。

    千葉県いすみ市岬町  ブラウンズフィールド 中島デコ

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    平和のメッセージは、

    「愛だろ、愛」です。

    短いですが、やはり色んな意味で愛が必用だと僕は思います。

    和歌山県和歌山市加太 まーくん

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    「自分の幸せは、みんなの幸せではない
    みんなの幸せは、自分の幸せである・すばらしい地球を」

    田辺市本宮行政局産業建設課
    観光係  安 井 健 太



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    何故、戦争がおこるのだろう。
    武力で、戦うって?
    何故?平和のためって言う。
    そんな人類(地球)に、自然界は、我慢の限界を、言って来ている。

    さあ、武器を捨てて、話をしよう!
    皆、同じ人間なのだから・・・
    愛し合おうよ。
    仲良くしよう。

    東京都港区 (有)レイジィー  瀬田泰子
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    世界中の人が夢や希望の灯りを心に持てますように。
    どんなに暗い闇の後でも朝はやってくることを信じられますように。

    沖縄県本部町 島塚絵里

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    世界にある様々な問題を克服するのは愛です。
    人類を一体にするのは愛なのです。
    だから、内面にある愛を解き放ち、流れるままにまかせることができれば、平和で調和のとれた世界、すべての人が心を開いた世界の実現を、それだけ早く目にすることができるのです。
    心を開き、押さえることをせず、すべてが流れ出てくるままに任せなさい。(『心の扉を開く』アイリーン キャディ)

    私たち一人一人が愛と平和を持って生きていれば、世界は平和です。
    愛と平和を持って生きよう。

    東京都 はっちゃん

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    平和とは共感する心と、無関心でいない事によって
    皆で創りあげていくもの。その担い手に私もなり、
    一人でも多くの方にその一歩を踏み出す勇気を
    もってもらえる活動をしていきたいです。

    埼玉県さいたま市 Bridge for PEACE 神 直子 

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    June 13

    身体と心を明け渡す

    沖縄で不思議な経験をしました。

     

    首里城の近くのモスバーガーで、ポールとコーヒーを飲んでいたときのことです。突然、足元から「ざわざわ」としたものがやってきて、まるで、微弱電流が身体中を走っているような感じになったのです。それが、胸のあたりまで来ると、とても苦しく、大きな深呼吸をしてみたのですが、止まりません。

    「歩こうか?」

    様子がおかしいので、ポールが気を遣って言ってくれました。ポールは心配そうに私の顔をのぞいています。

    「うん、首里城まで歩こう」

    ところが、歩いてみると、さらに電流が激しくなり、身体の中を螺旋状に駆け上がって来るではありませんか。まるで、白い龍が、口から炎を吐きながら内臓を食いちぎり、のど元まで競りあがってくるかのようです。

    「うわあー、何これ!」

    気持ちが悪くて、私は歩きながら歯を食いしばり、必死に抵抗しました。

    「いやだ、いやだ、いやだ。変わりたくない。このままでいたい。このままが、いい」

    なぜだか、そう心の中で叫んでいました。ところが、龍は、ますます激しく暴れます。

    「どっちを選ぶ?」

    突然、声が聞こえました。静かで厳しい男の人の声のようでした。

    「自由意思があるのだから、どっちでも選べる。さあ、選びなさい」

    「いやだ! どうして、私なの? ひどい、どうして、こんなことするの?」

    怒りがこみ上げてきました。私をこんな苦しい目に遭わせている「大いなる力」のへの怒りが、無意識のうちに噴き出してきたのでした。

    抵抗すればするほど、電流は激しくなり、身体が震えてきます。私は悔しくて地団駄を踏み、怒りの言葉を吐き散らしました。

    すると、ポールが言いました。

    「おお!このみが怒っているよ。怖いなあ・・・さすがのコールマン氏も言葉を失って、何を言っていいかわかりません」

    笑いました。

    いきなり真実を見せられたので、意表を突かれて、大笑い。すると、身体がゆるんで、突然、呼吸が楽になっていました。

    「ポール・・・・、おかしい・・・」 

    「そう?よかった。笑いは、最高の薬だよ。僕に何かできることある?」 

    「うん、じゃあ、もっと笑わせて。笑うと楽になるみたい」

    そう言ったとたん、龍が頭を引き裂きました。

    白い龍が、頭のてっぺんから突き抜けて、空へ舞い上がって行ったのでした。

     

    急に、楽になっていました。

    身体が軽く、羽根のようになっていました。

    暗くたちこめていた雲を突き抜けて、ポーンと青空へ顔を出したような感じでした。

    「ああ、私は選んだんだ」

    そう思いました。私は、自分の意思で、今までの自分ではなく、新しい自分になることを選んだのだ。身体も心も、大いなる力に明け渡したのだ、と思いました。

    歓びが、ひたひたとやってきました。

    そして、いつの間にか、私はピンク色の暖かい海のなかに漂っていました。暖かい海の正体は、愛でした。それは、自分への愛。そして、生きとし生けるもの、すべてへの愛。宇宙への愛でした。

    「ありがとう。もう、大丈夫!」

    私が微笑むと、ポールもほっとした様子で微笑んで、私たちはそのまま首里城へ向かって歩いたのでした。

     

    あれは、何だったのでしょう。

    とても、不思議な、とても面白い経験でした。

    でも、ひとつだけ、確かなことは、今、とても、楽チンになったということ。

    私は、私をとても愛している。

    それだけで、他には、なにもいらない。

    私は、私でいるだけでいい。

    そう気づいたのです。

     

    May 27

    天使のお仕事

    この間、ポールさんとお会いしたとき、みんなで写真を撮りました。

    そしたら、ポールさんの頭上に、ものすごくきれいな白い球体が写っていて、拡大すると、中に虹色の渦が二つ見えました。それが、天井付近にも、いくつも写っていたのです。

    そう、オーブです。可愛らしいオーブが、まるで私たちと一緒に笑っているみたいに写っていました。

    オーブって、一体、何なんだろう?

    そう思っていたら、ちょうど、昨日、読み終わった本にオーブの説明が書いてありました。

    アメリカには、天使とコンタクトしてヒーリングをしたり、エンジェルからメッセージを受け取ってリーディングをしたりする人たちがいます。最近、日本でもそういうことをしているセラピストの方が増えてきましたよね。

    さて、そのエンジェルヒーリングの先駆者の一人と言えるのが、ドリーン・バーチューという女性です。彼女が書いた本、「エンジェル・メッセージ」(KKベストセラーズ刊)を昨日読んでいたら、オーブのことが書いてあったのです。

    それによると、オーブは「天使の姿が物理的に見える形態のひとつ」で、「オーブが写りやすいのは、生まれたばかりの赤ちゃんや精神的価値を大切にする人を写真に撮るとき」だとか。

    なるほど、ポールさんは、天使をたくさん連れているんですね。
    きっと、木の精霊たちもたくさん彼を守ってくれているのだと思います。

    私の経験では、人があまり行かない原生林や渓谷、洞窟など、水の近くでよく写るようです。

     

    ちなみに、エンジェルのことを東洋では菩薩と呼ぶのだそうで、もとは同じエネルギーでも西洋人と東洋人では、見え方が違うとのこと。

    それから、誰にでも、ガーディアン・エンジェル(守護天使)が二人いて、スピリットガイド(先祖や亡くなった近しい人のスピリット)も二人、ついていてくれるそうです。

    天使たちの中には、全体を統率する役目の大天使という天使たちがいるのですが、そのうち、芸術家を守ってくれているのは、ヨフィエル、作家を守ってくれているのは、ガブリエルだそうです。

    おもしろいですね

    私は大天使たちからのメッセージを読んで、とっても彼らのことが好きになり、早速、ネットで彼らのことを描いた絵を見つけ出し、プリントアウトして壁に貼りました。

    私の部屋には、イエスキリスト、観音様、シリウスのドルフィン、大天使たち、鑑真和上、マグダラのマリアなど。。。無節操にいろんな神様や天使たちの絵が飾ってあります。神様たちは「愛と寛容」の人々なので、争ったり、自分だけを信じなさいなんて、言わないんですね。

    みんな、私たちを助けたくて、うずうずしています(笑)

    そうそう、天使たちは、私たちに呼ばれないと行動ができないので、いつでも私たちが助けを求めるのを待っているそうですよ。

     

    そういえば、この間、とても苦しい感情を手放そうとしているときに、ずっと私を慰めてくれている声が聞こえていました。

    「このみ、大好きだよ」

    「このみ、愛してるよ」

    私が、古い自分を切り離すという痛みを伴う作業をしている間、ずっと優しい声が聞こえていたのです。

    あれは、天使だったんじゃないかな?

    そんな風に思います。その声のおかげで、私は苦しい作業を乗り越えることができたのです。

    それが、本当に天使だったのかどうか?

    それは、私にはわからないし、きっと誰にもわからないのではないかな。

    でも、あれは天使が助けてくれたんだ、と思ったほうが、私は楽しいし、うれしい。

    だから、楽しくて、うれしい方を、私は選ぼうと思います。

     

    天使たち、本当にありがとう

    愛してるよ

     

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    ドリーン・バーチュー 「エンジェル・メッセージ 天使があなたに知ってほしいこと」は、こちら↓

    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect?path=ASIN/4584187371&link_code=as2&camp=247&tag=kikuchikonomi-22&creative=1211


     

    May 26

    うれしい。

    うれしい。

    アパートの外では、工事をしていて、ガリガリ、ギュギューーーンって、朝から音がしているのだけど。

    私の周りは、なんだか、うれしい空気です。

     

    駅前のお花屋さんで買ったトルコキキョウが満開になったり、

    ひさしぶりに、朝ゆっくり起きてヨガをして、

    大好きなものだけ、ゆっくり食べる食事をしたからかな。

    ちなみに、食べたものは・・・

    キウイにヨーグルトと蜂蜜をかけたもの。

    蜂蜜バタートースト。

    自分で作った美味しいチャイ。

    デザートに、アボガド。

     

    ああ、自分をちゃんと愛してる・・・って。

    そう思えるから、うれしいのかな?

     

    そういえば、この間、

    「やっと、自分を愛し始めたね。

    無条件の愛を自分に注ぎ始めたね」・・・って。

    大切な人から言われました。

    そう・・・なのかな?

    だから、こんなにうれしいのかな?

     

    ところで、蜂蜜って、しあわせな味がしませんか?

    とろりと甘くて金色なところが、幸福のエッセンスを表現しているようだわ!

    と思うのは私だけ?

     

    恋人のことを、英語では「ハニー」って言いますよね。

    「スゥイート」とかね。

     

    前に、ヨガを習ったときの先生が、おそらく50代後半ではないか?と思われる女性だったのだけれど、

    とってもチャーミングで美しくて色っぽくて、パートナーのことを話すときに、

    「マイ スゥイート」って呼んでいた、あの、とろけそうな笑顔が忘れられない。

     

    いいですよね。

    愛するって。。。

     

     

    May 13

    愛は創造

    ある日の朝

    わたしは両手を合わせて

    天に祈った

     

    どうか、わたしの暗い影を

    あなたの炎で焼き尽くしてください

    ひとつ残らず焼き尽くして

    私を光で満たしてください

     

    すると、そのとき声が聞こえた

     

    愛を知りなさい

     

    圧倒的な強い愛

    白い炎が天から私に降り注いだ

     

    わたしはきつく目をつぶり

    倒れそうになるのをこらえていた

    すると

    私の中の小さなエゴが

    みるみるうちに焼き尽くされ

    わたしのなかには愛がないという幻想が

    あっという間に消えていった

     

    目を開けると

    水晶玉のように固い涙がぽろぽろこぼれた

    ありがとう

    わたしは愛に焼き尽くされました

     

    そして、そこには

    ただ愛を注ぐだけのわたしが

    微笑みながら立っていた

     

    いま

    わたしは言う

     

    わたしが愛している人は

    無限のスペース

    そこは

    愛を自由に表現させてもらう場所

     

    わたしが愛している人は

    無限のクリエーション

    そこは

    何かをもらったり

    何かを引き出す場所ではなく

    何かが自由に生まれる場所

     

     

     

    April 04

    新しい1日

    1日の終わりには、

    その日に起こったことを、すべておしまいにしておきなさい。

    あなたは、精一杯、そのときにできることをした。

    馬鹿げたことをしてしまったとか、

    矛盾したことをしてしまったとか、

    そういう思いが心に忍び込むだろう。

    だが、それをすべて、すぐに忘れてしまいなさい。

    明日は、新しい1日。

    気持ちよく、心穏やかに、新しい1日を始めなさい。

    あなたの魂はとても高いところにあり、

    過ぎ去った他愛のない出来事に乱されるようなことは

    決してないのだから。

    -ラルフ・ウォルド・エマソン-

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    エマソンの詩を訳してみました。

    なぜか、最近、エマソンが気になっています。

    一日の終わりに、自分がした失敗も馬鹿げたことも全部忘れて、

    新しい1日を穏やかに気持ちよく始める。

    それって、すごく大切なことですよね。

    自分で自分を損なわないために。

    心乱れて後悔している自分を、さらに自分で責める必要はない。

    ただ、許せばいいんだろうなって思います。

    そして、誰かにいやな気持ちをさせてしまったら、

    心から謝ればいいんだろうなって。

    誰かに謝ることと、自分を許すことは、実は同じことですよね。

    謝った時点でもう、自分を許しているのだと思います。

    そして、その時点で、自分への愛を表現しているのだろうな、と思います。

     

    April 03

    愛は痛い

    私の大好きな「文章の魔術師」(と、私が勝手に呼んでいる)石井ゆかりさんが、今週、星占い系テキストコンテンツサイト「筋トレ」に、こんな文章を書いています。

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    愛は、ときどき思いがけない結果を生み出すことがあります。

    愛が溶かしてしまう相手の過去やコンプレックス

    愛があるから解る相手の欠点

    愛がないと乗り越えられない人生の試練。

    愛はそういうモノに、しばしば遭遇します。

    誰かを愛すると言うことは非常にキケンなのです。

    相手の内面にも直接さわってしまうし

    自分のイタイ部分にも、触れられてしまうかもしれません。 

    でも自分のプライドや怠けたい気持ちを乗り越えて

    強制的に迫力もって人を変化させてくれるのは

    愛しかありません。

    いまはそういう意味で

    むちゃくちゃ愛の季節で

    むちゃくちゃ危険な時期です。

    相手の弱さが許せないのは

    自分の弱さを許していないから、であることが、多いです。

    苦しんでいる相手を見るのは辛いですが

    愛がないと、見守ることが出来ません。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これは、今週の射手座の空模様。

    でも、愛は普遍ですから。

    >愛がないと、見守ることが出来ません。

    というのは、誰にとっても真実だと思います。

    じっと、口も出さず、手も出さず、相手が苦しみながらも自力で立ち直るまで見守るというのは、やはり、愛の力なのだろうな、と思います。 

    愛は、「痛い」

    そして、「美しい」 

    いやいや、私は決してマゾではありませんよ。

    でも、愛は諸刃の剣・・・とでもいうのかな。

    愛は深い。

    愛は大きい。

    愛はやわらかい。

    愛は尽きることがない。 

    愛は危険。

    >自分のプライドや怠けたい気持ちを乗り越えて

    >強制的に迫力もって人を変化させてくれるのは

    >愛しかありません。

    愛の力って、すごいです。

    私がかつての私ではなく、今の私に変化したのも、愛の力。

    もし、今、私が輝いているとしたら、それは、十年以上かけて忍耐強く(笑)、私を磨いてくれた、だんなさんの力だったんじゃないかな、って思います。

     

    石井ゆかりさんの星占い系テキストコンテンツサイト「筋トレ」はこちら↓

    http://www.st.sakura.ne.jp/~iyukari/

    March 22

    やさしさの記憶 by 君康友紀 :ココロ、ミタサレテ

    友紀さんのブログを読んで、心が痛くなりました。

    「これは、私の叫び?」と思ったくらい。

    愛って、すごいな。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    元の記事からの引用

    ココロ、ミタサレテ

    気がつきませんでした

    こんなにも

    傷になっていたなんて

     

    気がつきませんでした

    こんなにも

    愛されたかったなんて

     

    気がつきませんでした

    こんなにも

    正直になれるなんて

     

    気がつきませんでした

    こんなにも

    愛されているなんて

     

    気がつきませんでした

    こんなにも

    みんな同じ思いを抱えていたなんて

     

    気がつきませんでした

    こんなにも

    ひとの温かさが心に沁みるなんて

     

    気がつきませんでした

    こんなにも

    感謝が溢れるなんて

     

    気がつきませんでした

    こんなにも

    涙は流れるものだなんて

     

    気がつきませんでした

    こんなにも

    誰かをまた愛したいと思えるようになれるなんて

     

    みんな、ありがとう。

    みんな、ありがとう。

    みんな、ありがとう。

     

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     

    ひとは愛し、愛される動物。

    ひとは許し、許される動物。

    愛されて、許されたとき、しあわせのなかに溶けてゆく。

    だから、憎しみがあるのか。

    だから、罪があるのか。

    愛し、愛されて、許し、許されることを知るために?

     

    >気がつきませんでした

    >こんなにも

    >誰かをまた愛したいと思えるようになれるなんて

     

    私も、知らなかった。

    誰かを愛して、その人を失って、

    もう二度と誰も愛さないと決めたのに、

    それでもまた、誰かを愛せるようになるなんて。

     

    ひとのこころって、すごい。

    こころって、やわらかい。

    傷ついても、

    もう、二度と愛さないって決めても、

    こころは、次の愛をさがしている。

     

    愛して、愛されること。

    それが、こころにとっては自然なこと。

    だから、

    こころは、損なわれない。

    愛が、失われることもない。

     

    「やさしさの記憶 by 君康友紀」はこちら↓

    http://spaces.msn.com/members/kimiyasu/

     

    March 21

    鮎月 鈴音 ネットの中心で愛を叫ぶ!!!

    私の大好きなりんねちゃんの詩です。彼女、ただものではありません(笑)

    愛について。私も学んでいる最中。そして、その答えが全部、彼女の詩「何処からか聞こえてきた声」のなかにありました。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    元の記事からの引用

    鮎月 鈴音 ネットの中心で愛を叫ぶ!!!

     

    「エッセイ☆心の発掘」も新しいカテゴリとして始めました。自分の心のあり方を発掘して行きます。

     

    私が愛だと思ってきたものは、実は愛モドキだった。本当の愛じゃなかった!!

    行動の動機である核の部分は確かに愛で出来ているのだが、周りに沢山の違うエネルギーがくっついて愛で無いものになっていたのだ。

    きっと、木乃実さんが書いていた。愛しているに「だから」が付いているものを私は愛だと思っていたのである。

    もう一つ、自分を犠牲にした愛を鈴音はやっぱり、愛だと思っていたのである。(「黒い白鳥」みたいな言葉だね。と、母には笑われたけど…;)愛って自分を犠牲にしないものでしょ?自分を犠牲にするって事は相手も犠牲にしちゃってるって事になる。だから、愛じゃないの。

    と言うわけで、愛がそういうものだと思っていた私はずーっと長い事、誰にも愛されたくなかったし(迷惑)、愛したくも無かった(迷惑掛けたくない…そもそも私には愛が存在しないし…)。そしてそんな自分を冷たいと感じ、非難する事となっていたのである。(愛せない私は酷い人?)

    その一方で本当の愛を求めていたのである。

     

    「何処からか聞こえてきた声」

     

    信じることが愛 見守る事が愛 

    受け入れる事が愛 大切の想うことが愛

    犠牲にしないことが愛 許す事が愛

    求める事も愛 支える事も愛 

    愛は不可思議 様々な形をしている

     

    愛の泉は誰の中にもある

    それを見つけ出し 最初にその水を飲むのは自分自身だ

    愛は無償だ 泉の水は枯れない

    地下へ潜って見えないだけだ

    自分を支配しようとするな そうすれば自然に己を満たす

    愛そうとするな 頑張るな 一生懸命になるな

    そうすれば愛の水は自然に溢れ出す 

     

    一緒に笑いそして泣く

    私も愛していて、愛されている

    理屈はいらない

     

    私の場合、もっと愛を出さなくちゃって、泉を無理に掘ちゃうから、周りから砂が崩れてきて泉の水が細くなちゃっていたみたいです。

    その泉からは、生きる希望、情熱、そんなものも一緒に溢れてきています。

     

    鈴音は言葉が下手だから、上手く説明できないけど、そんな感じなのです☆そして、私は愛を持っていたことが分かったのである。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    「鮎月 鈴音の日々」はこちら↓

    http://spaces.msn.com/members/ayuzuki-linne/

    March 19

    祈りは通じる

    祈りは通じる。

    それが、自分のためでなく、

    誰かほかの人のためなら。

    それが、欲ではなく、

    愛にもとづいているなら。

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    ネイティブ・アメリカンの子供たちは、

    最初に獲物を捕るときに「自分のためでなく、誰かのために捕るように」とおしえられる。

    その子が大人になってシャーマンになると、

    「創造主から授かった聖なる力を、たくさんの人の幸福のために使うように」とおしえられる。

    愛にもとづいて、正しい行いをすれば、祈りは叶えられると信じられている。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    きのう、海へ行ったとき、私がバスに乗っていると空が暗くなり、厚い雲に覆われてしまった。

    「あれ、太陽さん、顔が見たいなあ」

    海岸に下りて心の中で呟くと、太陽が覗いた。

    そして、また、海沿いにバスで移動すると太陽は見えなくなり、

    次の海岸に下りると顔を出した。

    「ありがとう」

    太陽にお礼を言いながら、てくてく歩き、

    夕陽が見える「きもちのいい」場所を探した。

    ここだ。と思える場所があった。座って、厚い雲の向こうに隠れてしまった太陽が出てくるのを待った。

    小雨が降ってきた。私は祈った。

    「今日、ここへ来たのは、わたしのためでもあるけれど、たくさんの人のためでもあるのです。夕陽を写真に撮って、きもちのいいエネルギーを持って帰って、たくさんの人に届けてあげるためなんです。気分が落ち込んだり、疲れたりしている人たちの魂を元気にしてあげるためなんです。だから、どうか夕陽を見せてください」

    すると、雨が止んだ。

    灰色の厚い雲と、水平線の間には、薄いオレンジ色の靄がかかっている。

    きっと、あのオレンジ色の靄の向こうに見えるはず。そう信じて、1時間待った。

    すると、雲の下の縁から、かすかに光が現われた。光はオレンジ色の靄に包まれたまま、ゆっくりゆっくり降りてくる。そして、光はしずかに強さを増し、大きな虹の円になった。

    「うわ」と言ったきり、声が出なかった。中心から黄色、オレンジ、ピンク、赤。同心円状の光が大きな輪になって輝いている。夢中で写真を撮ったけれど、それは写っていなかった。

    気がつくと虹が消え、金色の太陽が出ていた。そして、私の目の前に一本の光の道が現われた。

    「わたしは、あなたの望みを叶えた。だから、あなたは、わたしのために、この道を来なさい。もう、道は用意されている」

    太陽から声が聞こえた。

    ありがとう。ありがとう。ありがとう。

    私は夕陽が沈むまで、感謝の祈りを捧げた。

    そして、太陽に約束した。

    かならず、このエネルギーをたくさんの人に届けます、と。

     

     

    March 02

    恐れずに愛する

    きのうの夜、ネットの占いをしていたら、また、「マグダラのマリア」にぶつかりました。

    この占いは友だちにおしえてもらったサイト。なぜか、「筋トレ」というHPなのです。

    http://www.st.sakura.ne.jp/~iyukari/

    ものすごく、ピンと来ます。どの占いよりもピンと来ます。ちゃんと星の動きがそうなっているから、私はそれに沿ってこうなってるんだなあって、納得できるんです。

    私は、いて座です。いて座の年間占いを見ていたとき、「マグダラのマリア」に出会いました。去年の私は、「マグダラのマリア」状態だったようです。少し長いのですが引用します。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    カトリックの聖画では

    聖書の物語のワンシーンが描かれます。

    そのなかでも一番多いのは

    キリストが十字架にかけられて血を流している絵ではないかとおもいます。

    この、キリストが十字架で血を流している絵には、

    キリスト以外にもたくさんの人物が描かれています。

    その中に、

    2人のマリア

    がいます。

    一人は、母であるマリア。

    もう一人は、弟子の一人である、マグダラのマリアです。

    元々娼婦であったというこのマリア・マグダレナの話が私はなぜか、大好きです。

    彼女は、キリストの足に香油を塗る女性として有名です。

    以前、私はたくさんのそのような絵を見る機会があったのですが

    そのとき、あることに気づきました。

    聖母マリアは、十字架のキリストを見上げることができず、嘆き悲しんでいます。

    ヴェールと両手で顔を覆って、苦しみをあらわにしている姿が多く描かれています。

    その傍らのマリア・マグダレナはというと、

    多くの場合、十字架の上で苦しみの中にあるキリストを

    見上げているのです。

     

    腹を痛めて生んだ息子が苦しみの絶頂にあって血を流しているとき

    それを直視できる母親は、いないでしょう。

    でも、彼を愛する女だったら、どうなのか。

    あごをあげて目を見開き、もっとも大切な存在であるキリストの

    今まさに痛み続ける傷口を見つめる彼女の心は、

    どんなものだったのでしょう。

     

    人生では、しばしば、このような立場に陥ることがあります。

    今まさに苦しんでいる人

    その人のためにはもうなにもしてあげられない場所にいて

    何よりも大事なその人の姿を見つめるしかない。

    目を背けてしまったり、背を向けてしまったりしてもおかしくありません。

    泣き叫んだり、自分が代わりになると暴れてみたくなる場合もあるでしょう。

     

    ちょっと重い話になってしまいましたが

    2004年、誰かとの関わりの中で

    できることとできないこと

    立ち入れることとそうでないこと

    を、どこかで体験してきた射手座ではないかと思います。

    射手座は、おおらかで心の広い星座ですから、

    つらい思いをしている人がいたり

    苦しんでいる家族を見たりすると

    どうにかしてどうにかしたい!

    と思うだろうと思うのです。

    でも、どうしても、本人にしか切り開けない道がある。

     

    2005年は、そのような「関わり」の真実が

    浮き彫りになった上で、収束するコトになると思います。

    そして、貴方が本当の意味で

    自分を使って相手に何かできること

    が視野に入ってくる年ではないかと思います。

     

    「筋トレ」 2005年いて座の空模様 より引用

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    そう。去年の私は、まさにこれでした。

    彼の苦しみを見ているしかなかった。

    そして、彼の苦しみが終わったあと、「もう二度と人を愛すまい」と思っていました。

    私には人を助けることができない。それならば、人を愛する意味がどこにあるんだろう?と。

    そんなとき、パウロ・コエーリョの「11分間」(角川書店)という小説に出会いました。これは、マグダラのマリアをモデルにして書いた小説です。

    一晩で読み終わり、明け方、読み終わると、胸が震えて涙が溢れました。嬉しかったのです。「もう二度と人を好きにならない」「人を好きになる結果がこれならば、つらすぎる」と思っていた私に、「もういちど、人を愛せ」「恐れずに全身全霊で人を愛せ」というメッセージを送ってくれたのが、この本でした。

    ものすごいエネルギーのある本です。

    「本当の意味で、自分を使って相手に何かできること」

    今年、私はこのことを考えていこうと思っています。

    そして、もういちど、人を愛そうと思っています。

    傷つくことを恐れずに、人を愛そうと思っています。

     

    March 01

    マグダラのマリア

    「マグダラのマリアって知ってる?」と、突然、友人から尋ねられたのは4日前だった。

    「うん」

    「キリストが愛した女性って言われてる人なんだけどね」

    彼女は、マグダラのマリアが娼婦で、イエス・キリストが愛した女性であるという話をしてくれた。

    「マグダラのマリア」という言葉。何ヶ月も前から、私の前に現われたり消えたりしていた。偶然、読んだ小説の中に彼女を賛美する歌が出てきたり、また、別の本に彼女のことが出ていたりした。

    気になってメモを取っておいた。それをひさしぶりに見つけて部屋の壁に貼ったのが、ちょうど友人に会う前日だった。

    偶然?必然?

    イエス・キリストの愛を受けた女性。それは、どんな人だったのだろう。私は、マグダラのマリアをよく知らないにもかかわらず、直感的に好きになり、マグダラのマリアに憧れている。

    なぜだろう? 今はわからない。その理由は、ずっと、あとになってわかるのかもしれない。

    今日は、私の部屋の壁に貼ってあるマグダラのマリアの詩をふたつ。どうして、今日、これなのか。それもわからないのだけれど。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    救い主の伴侶はマグダラのマリアである。

    キリストは彼女をどの弟子たちよりも愛し、しばしば彼女に接吻をした。

    ピリポ「グノーシス福音書」

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    私が最初の女であり最後の女であるがゆえに

    私は崇められ貶められる

    私は売春婦であり聖女である

    私は妻であり処女である

    私は母であり娘である

    私はわが母の腕である

    私は石女であり子だくさんである

    私は幸せに結婚した女であり独身女である

    私は光の中に産み落とす女であり一度も出産しなかった女である

    私は産みの痛みに対する慰めである

    私は妻であり夫である

    そして私を創ったのは私の男

    私はわが父の母親である

    わが夫の妹である

    そして彼は拒絶されたわが息子である

    いつでも私を敬うがよい

    なぜなら私は恥辱の女であり超える者のない女だからである

    「イシスへの頌歌」(紀元三世紀あるいは四世紀 ナグ・ハマディにて出土)

    February 28

    愛に気づけるように

    芽が出ました。幸福の木!

    ひと月前に実家に帰ったときに、妹のだんなさん(義弟ですね)からもらった小さな木。

    彼が勤めているレストランにあった大きな幸福の木から分けてもらった赤ちゃんです。

    お水に入れておいただけなのに、毎日、太陽の光を浴びてすくすく育ち、こんなにかわいらしい芽を出してくれました。ありがとう!名前は、Holyくん!たった今、決めました。

    幸福の木の隣りにいるのは、我が家の「師匠」。わたしが独りになったとき、お友だちが「癒されるから」とくれたお人形です。彼は、私が怒っても、泣いても、愚痴を言っても、相談しても、なんでも、「うん、うん」と聞いてくれる心の師匠です。

    ありがたいです。

    義弟(おとうと)くんが、私にこの木をくれたのも愛。私が毎日「かわいいねえ」と目を細めながら、Holyくんを育てているのも愛。師匠が、太陽の光を浴びて毎日、「うん、うん」とうなずいてくれているのも愛。太陽が、毎日私たちを照らしてくれるのも愛。(師匠は太陽電池で動くので、太陽が輝いていることが大切なのです!)お友だちが私に「師匠」をくれたのも愛。

    きのうは、東京国立博物館の鑑真和上展に行った友だちが、「このみちゃんには、ぜったい、これだと思った!」と言って、鑑真和上坐像の絵はがきをくれました!鑑真和上、すてき。これも、彼女からの愛ですね。

    愛はたくさん溢れています。あなたの周りにも、わたしの周りにも。

    それに気づけないときは、私の心に雲がかかっているとき。雨が降っているとき。

    もちろん、そんなときもありますよ。人間だもの。もやもやしたり、泣いたり、します。

    でも、なるべくね。

    毎日、たくさんの愛に気づけるように、毎日、感謝のきもちが自然にわいてくるように。

    心の空を晴れ晴れと、きもちよくしておきたいな、って思います。

    February 24

    愛の距離

    最近、恋愛についての相談を受けたり、「恋してるんです!」というメールが届いたりしています。

    春・・・だからなのでしょうか?

    うれしくなります。恋はすてきです。愛はもっとすてきです。

    いとしいパートナーがいる人、これからできる人。愛を語るすてきな人たちに向けて、詩を送ります。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    仲むつまじくても互いに距離をおきなさい。

    そして二人の間に天上の風を吹かせよう。

    愛し合っても愛で束縛してはいけない。

    二人の魂の靴のあいだに波立つ海をあらしめよう。

    互いのカップに注ぎ合っても、ひとつのカップから飲まないこと。

    パンを与え合っても、一塊のパンから食べないこと。

    一緒に歌い踊って楽しんでも、互いに独りにしておくこと。

    同じ音楽に震えるリュートの弦でさえ互いから離れているように。

    愛情を与え合っても、それを仕舞い込まないように。

    生の手だけが二人の愛情を納められるのだから。

    一緒に立つときも、近くに寄り過ぎないこと。

    神殿の柱は離れて立っているのだから。

    樫も樅も互いの日陰では育たないのだから。

    カリール・ジブラーン「預言者」

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    愛はぎゅっと抱きしめてはいけない。

    抱きしめすぎたら窒息してしまうから。

    愛は抱きしめすぎないように、そっとそっと育てよう。

    ふたりのあいだにそよ風が舞うように、微笑みを注ごう。