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March 31 愛は癒すネイティブ・アメリカンのシャーマン、ビックベアーは言う。 もし、あなたの愛が誠実で真実なら、それは唯一、人の心を溶かすことのできる力になる。 核兵器は人を破壊するが、愛は人を修復し、癒す。人を癒すことのできる爆弾など存在しない。人を癒すことができるのは、理解と寛容さのみである。人は許されるとき、自分には存在する価値があるのだと感じることができ、生命の可能性を燃やすことができる。人を理解し、寛容に受け入れ、許すことが愛である。 もし、あなたが、溢れるほどの愛情を放っているなら、動物があなたに近寄ってくるだろう。花さえも、あなたがそばを歩く時、あなたから溢れる愛情に気づいて、それに応えようと、あなたの後をついてくるかのように見える。 愛は無限に拡大する。愛はこの宇宙全体にまで広がって、すべてのものを癒すことができる。 ある日の夜、ビックベアーたちは、重い病に伏しているネイティブ・アメリカンの女性のために祈りの集会を開いた。ティピの中に、たくさんのメディスンマンが集まって、一晩中、祈った。そこへ、ひとりの若い男が入ってきた。彼は信心深い男ではなく、祈りの集会に出たことはほとんどなく、「乱暴者」というあだ名で呼ばれていた。しかし、この男は病気の女性と何か関係があり、彼女が重い病にかかったことを知って、集会にやってきたのだった。 彼は集会に慣れてなかったので、最初はとても場違いに見えた。ティピの真ん中に焚き火があり、その横に枝が積んであったのだが、それをうっかり蹴飛ばし、座る時も儀式で皆がやる足を交差させる座り方ではなく、両足を前に投げ出して座った。また、祈りの集会では、煙に乗って祈りが創造主に届くようにとタバコを回して吸うのだが、彼はうまく吸えずに唾を吐いたので、皆の祈りを妨げた。 しかし、しばらくすると彼はタバコの吸い方にも慣れ、大きな声で創造主に向かって祈りの言葉を言い始めた。 「彼女は私がどんな人間か知っています。でも、彼女は私を指差し、怒ったことは一度もありません。彼女はいつも私に優しく話しかけてくれました。神様、この世には彼女のような人が必要です。もし、彼女のような人がもっと増えれば、私のように人に蔑まれる者でも、自分を責めずに済むようになるかもしれません。彼女は、いつも私が気持ちよく感じるようにしてくれました。私は、あなたに向かって祈る人々をあまり好きではありません。しかし、それでもここに来たのは、彼女を愛しているからで、あなたが今、彼女を軽く扱っているからなのです。私を祝福してくれなくてもかまわない。でも、もし、できるのなら、彼女をどうか祝福してください。彼女の病気を取り去ってください。あなただけが、それをできるのですから」 彼女はずっと寝たきりだったが、祈りの集会が終わったあと、しばらくすると、彼女は起き上がった。 「みなさん、ありがとう。私のために力を尽くして祈ってくださったことに感謝します。気分がとてもよくなりました。どこも痛くないし、どこも悪くはありません。私の病気が治ったのは、私の息子が祈ってくれたからなのです。息子の祈りには、誠実さと愛がありました。私は息子にとても感謝しています」 愛は癒す。愛はいつも、よい変化を起こすのだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 母の代わりに、姪たちの面倒を見るため実家に戻っています。 おととい、「みんなで元気をあげにいこう」と、二人の姪たちと、父と妹と私の5人で母を見舞いに行きました。 「あら、やっと来た!待ってたよ~」 彼女は、二度目の抗がん剤投与を終えたばかりで疲れていたはずなのに、私たちの顔を見たとたん、光で輝いたように顔が明るくなりました。 姪たちは、太陽のような向日葵の絵を、私は虹の絵を母にプレゼントし、食堂室でみんなでご飯を食べました。 みんなの愛が、母に流れているのが見えました。 母の愛が、みんなに流れているのが見えました。 私たちは、ピンク色の愛をみんなで母に注ぎ、母からもピンク色の愛をもらって、頬を染めながら、笑い合ったのでした。 明日は、母の誕生日。また、みんなでお見舞いに行きます。母の誕生日のプレゼントを何にしようか、と姪たちと考えています。 March 17 天の歌声~ネイティブ・アメリカンの教えネイティブ・アメリカンのシャーマン、ビックベアーは、大人になってからこんな話を母親から聞いた。 彼は、生まれたばかりのときに高熱にかかり、命を落としそうになったことがある。 母親は、一晩中ビックベアーを抱いて熱が下がるように祈り、夜明け前に彼を抱いて外へ出た。母親は、東へ向いてこう祈った。 「創造主よ、この子の命を捧げます。もし、この子の命を救ってくださったなら、私はよき母親となり、この子があなたとあなたの偉大なる愛を知り、あなたと共に大地を歩き、人々を助けることができるように、この子を育てます。この子は、あなたの足となり、目となり、声となり、手となるでしょう。あなたが、どのようにこの子を使おうとも、私はこの子の命をあなたに捧げます」 そうして、母親が家に戻ると熱は下がり、ビックベアーは回復した。ビックベアーには幼い頃から、「自分は大いなる力のために身を捧げるのだ」という意識があった。それは、母親が創造主と約束したからにちがいなかった。 時が過ぎ、ビックベアーの息子が大人になった。息子は人々を助けるために志願して沿岸警備隊に入り、あるとき、フィリピンに派遣されることになった。彼は一ヶ月の休暇を取って家に戻り、ビックベアーを誕生日のディナーに連れて行ってくれ、家族と一緒に時間を過ごして旅立った。 フィリピンに向かう途中、彼の飛行機は給油のためハワイに降り立った。その日は母の日だったので、息子はそこから妹に人形を、母親に蘭の花を、そしてビックベアーにはフラダンスを踊っている女の子の絵葉書を送ってくれた。絵葉書には、こう書いてあった。 「ハワイは美しいところです。いつか、お父さんにも見てもらいたい」 彼の飛行機は給油を終え、フィリピンへ飛び立った。そして、フィリピンに着陸するときに墜落した。 よく晴れた日だった。天気のせいではない。操縦士のミスだった。その事故で84人が亡くなった。ビックベアーの息子もそのなかの一人だった。 息子からのプレゼントが届いたのは、彼が逝ってしまってからだった。人形が、蘭の花が、そして、彼が走り書きした絵葉書が家族の元に届いた。彼を失った痛みで胸が張り裂けそうだった。テーブルのたった一つ空いている席を見ると、胸がえぐられるほどに痛んだ。 それから数年後、ビックベアーはハワイへ行った。「いつかお父さんにも見てもらいたい」と言った息子の願いを叶えるためだった。 ハワイには、ペレ岬という場所があり、そこは「宇宙の風が最初に起こったところ」と言われている。ビックベアーの母は、風の一族の出身なので、ビックベアーは夜中にそこへ登ろうと出かけていった。 すると、ふもとで夜警に引き止められた。 「岬には登れませんよ」 「なぜですか?」 「ゲートが閉まっていますから」 「かまいません。上まで登りたいんです」 「それじゃ、ゲートの前まで連れて行ってあげましょう」 彼らがビックベアーを車でゲートの前まで連れて行ってくれたので、そこから先は一人で歩いた。ビックベアーは歩きながら、東西南北、それぞれの方向へ向いて歌を歌い、祈りを捧げた。 「私の母は、私が赤ん坊のとき、私をあなたのために捧げると約束しました。そして、今日、再び、私は自分の身をあなたのために捧げます。私はあなたの足となり、手となり、目となり、声となります。どうか、あなたの大いなる愛を私を通して流してください。私を人々に触れさせ、彼らを幸福にさせてください。彼らが健やかで善い目的を持ってこの大地を歩いていけるように。私をどうか使ってください」 こうしてビックベアーは再び、創造主に身を捧げた。 ビックベアーが戻ると、夜警が言った。 「上に誰かいたのかい?」 「いいや、誰もいなかったよ」 「おかしいな。たくさんの人が歌っている声が聞こえたんだが」 そう、彼らは天の歌声を聞いたのだった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「全体の幸福」 ということを、最近、よく考える。 「個人の幸福」のためでなく、「全体の幸福」のために生きるとしたら、 宇宙は私をきっと助けてくれる。 根拠もなく、しかし、深い信頼を持って、 私はお腹の底のあたりで、そんなことを思い始めている。 私はあなたの足となり、手となり、目となり、声となります。どうか、あなたの人々への大いなる愛を私を通して流してください。私を人々に触れさせ、彼らを幸福にさせてください。彼らが健やかで善い目的を持ってこの大地を歩いていけるように。私をどうか使ってください。 ビックベアーの祈りの波動が、 私を、さらに、さらに、透明にしてくれる。 もっと、もっと、細かい、優しい泡のような波長に、 私をチューニングしてくれる。
March 14 悪いことを良いことに変える~ネイティブ・アメリカンの教えある日のこと、ネイティブアメリカンのシャーマンであるビックベアーのところに、知り合いの若い女性から助けてほしい、電話があった。彼女は、病院にいて、両腕のない赤ん坊を出産をしたばかりだった。 ビックベアーが駆けつけると、彼女は混乱していた。 「どうして、私なの? どうして、私にこんなことが起きたの?」 ビックベアーは長い時間をかけて彼女と話し、一緒に祈り、どんな状況にも学ぶべきことがあり、そこには創造主の贈り物があるのだと彼女に言い聞かせた。 ビックベアーは言った。 「創造主がこの子をこの世に送り込んだのには理由がある。私たちはこの子ができるだけ気持ちよく生きられるように心を砕いて、創造主の大いなる計画を助けなければいけないのだよ。このような子供を授かったものには、特別な恩恵が与えられるとよく言われる。もちろん、私たちには、このような子が何故与えられたのかはわからない。私たちは理由を聞かず、ただ、精一杯、この子を助けなければならないのだよ」 そうして、ビックベアーは、同じようなことを経験した母親、メアリーの話を彼女に聞かせた。 ある日のこと、メアリーにも両腕のない男の子が生まれた。医者はメアリーにはそのことを告げず、彼女の夫のジョンを呼んで、「メアリーが分娩室から出てきたら、そのことを彼女に話してください」と言って立ち去った。 間もなく、分娩室からメアリーが出てきた。夫のジョンはベッドサイドに座り、優しく言った。 「メアリー、僕たちにはとても美しい男の子が生まれたよ。でもね、メアリー、彼には両腕がないんだ」 メアリーは目を閉じ、しばらく言葉を失っていた。しかし、しばらくして目を開けたとき、彼女は美しい微笑を浮かべ、夫の目をまっすぐ見つめて、こう言ったのだった。 「ジョン、神様は、この子がどんなに私たちを必要としているか、ご存知だったにちがいないわ」 ビックベアーは言う。 人生で大切なのは、あなたが、今、どんな状況にあるのか、ではない。大切なのは、その状況に、あなたが、どう対応するのか、ということである。どうやって困難な状況を生きるのか?拒否するのか、受け入れるのか?それが、大切なのだ。 どんなことが起こっても、目の前の出来事を敬いなさい。物事が起こるのには、必ず理由があるのだから。 「もし、こうでなかったら、もし、ああでなかったら」と言うのは、やめなさい。 何か意に沿わないことが起こったら、「どうやったら、自分をそこから自分を救い出すことができるのか」を考えなさい。どうしたら、「後向きな考えを前向きな考えに変えられるのか?」ということに知恵を絞りなさい。 そうすれば、これからの人生でどんなことに出会っても、うまくやっていける。 ひどいことが起こったら、こう言いなさい。 「起こったことに感謝します。私がこのことから、最上のことを学べますように」 もちろん、ひどいことが起こった時には、混乱し、怒り、これはレッスンだなどと思うことはできないだろう。やり返したり、復讐したり、あるいは、隠したり、理屈をつけて正当化したりするかもしれない。しかし、それでは、あなたは大切なレッスンの機会を逃してしまうだろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 母が入院して抗がん剤の治療をしている。 「副作用が少ないの。私は運がいいんだよね。大きな塊だったリンパ腫が、数珠みたいに小さくなってきたってお医者さんが言ってたからね、思ったより早く、治療が終わるかもしれないよ」 母は、笑ってそう言っていた。 「おかげさまでね、木乃実ともいろいろ話をしたから、こうして前向きにやってられるんだよ。考えてみれば、この何年か、心配事がたくさんあったから、それが塊になったのかもしれないんだよね。もう、それがすっかりなくなったから、塊も消える気がするんだよ。これからは、もっと気楽に生きなさいってことだね。今、わかってよかったんだよね」 母の病名は、悪性リンパ腫。それなのに、彼女の口から出るのは、「運がいい、よかった」という言葉だ。彼女はもちろん、ネイティブ・アメリカンの教えなんて知らない。でも、彼女はいつもそうやって「悪いことを良いことに自分で変えて」生きてきた人なのである。 ひどいことが起こったら、こう言いなさい。 「起こったことに感謝します。私がこのことから、最上のことを学べますように」 私の前向きな性格も、この母に育てられ、この母といつも向き合っていろんな話をしてきたからこそ、こうしてしっかりした基盤になって私を支えてくれているのだと思う。 私自身も、この2ヶ月半、「母が悪性リンパ腫になる」という一見「ひどいこと」のなかで、「起こったからには理由がある。そこには、私が学ぶべきこともたくさんある」と思い、素直に、精一杯、母のために自分ができることをやってきた。 そのおかげで、本当に、母ががんになったおかげで、私は家族にやさしくなった。私のなかに眠っていた(あるいは何かのきっかけで抑圧されていた)家族への愛がほとばしり出て、母や父や妹たちに対して、とても安らかな、優しい気持ちでいられるようになったのだ。それが、とてもきもちよく、うれしかった。 だから、私は感謝している。起こったこと、すべてのことに。本当に、心から、そう思っている。
March 10 直感を信じ、バランスをとる~ネイティブ・アメリカンの教えビックベアーは言う。 エネルギーには陰と陽がある。 水は陰のエネルギーだが、氷になると陽のエネルギーになり、溶けてまた陰になる。その変化はかすかで、ドラマチックなものではなく、ただ、静かにそこにある。 私たちのなかにも陰と陽がある。ひとりの人間のなかに、男性エネルギーと女性エネルギーがある。 ナバホ族では、男が会議に出て意見を言うとき、必ず妻か、一番上の娘を連れて行く。男と女はちがうものの見方をするので、男と女が一緒にいたほうが意見のバランスの取れるのだ。 また、ナバホのシャーマンが祝福の儀式を行うときには、シャーマンと親しい女を同席させる。儀式の途中でシャーマンに続いて女が同じ祈りを繰り返すと、男性エネルギーと女性エネルギーが溶け合って、祈りの力がより強くなる。 正反対のものをバランスすることは、からだにとっても必要だ。たとえば、ストレスを感じたら、それを解放することだ。簡単なのは、左手を背骨の一番下のところに当て、右手を頭と首の接合部に当てる方法だ。そうしていると、リラックスし始めるだろう。間違っても、逆の手でやってはいけない。逆にすると、いらいらしてしまうだろう。 バランスが取れているとき、人はもっともパワフルになれる。バランスする方法を知っていることは、パワーを手に入れることである。 脳にも右と左がある。左脳は理屈とつながっており、右脳は直感とつながっている。右脳はエーテル体=スピリチュアルな面とつながっているのだ。 ネイティブ・アメリカンは、昔からエーテル体とつながる方法を学んできた。私たちは、ただ感じ、自分の直感を信じるようにと訓練される。ものごとを「感じ」、自分の「勘」に頼ることは、生きる助けになる。直感的に思いついたことは、右脳から来ている。しかし、たいていは、すぐに左脳から理屈が洪水のように流れてきて、直感を押し流してしまう。 たとえば、あなたは、出かける前にふと、上着を持っていこうと思いつく。しかし、上着を手に取りかけて、ドアを開けると空は晴れている。「上着はいらないな」と思いなおして上着を持たずに外出する。すると、元気が急に変わり、寒くなり、「やっぱり、上着を持ってくればよかった」とあなたは思う。 外出するとき、あなたの直感、内なる感覚が、「上着を持っていきなさい」とあなたに告げた。しかし、あなたの理屈が晴れた空を見て、「いらない」と判断したのだ。 直感を信じ、行動に移しなさい。判断せず、理由を求めないようにしなさい。 直感を信じ、「上着を持っていくかどうか」というような小さなことで実践を繰り返しなさい。そうすれば、人生の大きな岐路に立ったとき、自分の直感を信じて行動できるようになる。 "The Wind Is My Mother"by Molly Larkin, Barkley Books, New York より引用して和訳。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 心がざわめいていた。私の心はまだ不安定で、穏やかだと思うと、もう次の日にはざわめいている。 ざわめく原因を作ったのは自分だ。それはわかっている。自分で「心をざわめかせる」原因を作り、その結果、自分の想いが作った形そのままに、「心がざわめいている」のだった。まったく宇宙はシンプルだ。 すると、「選んでいるのだ」と、直感が私に言った。「心がざわめくような想いが浮かぶことを選んでいる。洪水のように流れてくるのを許しているのだ」と、内なる声が言った。 なるほど、選んでいる。私は、心がざわめくことを許している。 そのことに気づくと、ざわめきは遠くなった。大きな声で叫んでいた誰か(あれは、誰なのか?左脳?エゴ?)の声が、遠くに小さくなって消えていった。 直感は私を超えた知性の声なのだと思う。 自分を超えた知性の声と、限られた自分の理屈の集積。 どちらを信じて生きるかと問われれば、私は「自分を超えた知性の声」を信じて生きることを選ぶ。 限られた私の理屈の集積は、あまりにも偏狭で近視眼的で、当てにならない。
March 09 解き放ち、あるがままに進ませる~ネイティブ・アメリカンの教えネイティブアメリカンのシャーマン、ビックベアーの話である。 あるところに、友だちに金を貸した男がいた。 友だちがいまでたっても金を返さないので、男は友だちを非難した。 「ちょっと待て」と、ビックベアーは言った。 「貸す前にノーと言うこともできた。だが、君は貸した。君がしたことだ。君がこの状況を創ったのだ。自分に言いなさい。『そうだ、私がやった』と。貸したお金がいくらか知らないが、もし、大金なら高いレッスン代だったということになる。どのみち、金額がいくらであったとしても、それは君が学ぶべきレッスンだったのだ」 ビックベアーの言葉は続く。 人生で出遭う不本意な出来事、困難な出来事、不運に見える出来事に注意を払いなさい。その一つ一つにあなたが学ぶべきレッスンがある。 『私がやった』と言い、事実を認めれば、その瞬間、何年にもわたってあなたを苦しめてきた状況に初めて正面から向き合ったことになる。すると、その状況を手放すことができ、あなたはその状況に苦しめられることは少なくなくなる。 しかし、手放すだけでは十分ではない。 たとえば、私が先祖代々伝わってきた高価な物を、落胆している友人に差し出したとする。「あなたに幸せになってほしいので、これをもっていてほしい」と言って、自分の所有物をその友人にあげてしまう。これは、「手放し」である。 しかし、数日後、私は質屋でその高価な物を発見する。「なんと、彼女はあれを質屋に流してしまったのか!」私は落胆し、とても傷つく。 なぜか? 私はそれを自分の手から放したが、まだ、こころはそれにしがみついていて、私はその物を「放棄」してはいなかったからだ。 もし、彼女が幸せになることだけを祈っていたら、傷つきはしなかっただろう。私は、物を「手放し」、それがそのあとどうなろうとすでに「放棄」しているからだ。 手放し、放棄すれば、あなたは二度とその状況に苦しめられなくなる。 しかし、ただ、手放しただけで、こころがそれにしがみついているなら、それは何度も、何度も、戻ってくる。何度も、何度も、あなたはそれに苦しめられる。 本当に「手放し」たいのなら、「放棄する」ことだ。そうすれば、あなたのこころはいつも清らかでいられる。 "The Wind Is My Mother"by Molly Larkin, Barkley Books, New York より引用して和訳。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「忘れたくても忘れられない」「どうしても手放せない」と思っていることがあった。自分の想いに囚われて苦しんでいた。 そんなある日、「それは、忘れられないのではなく、忘れたくないのです」と、93MRさんがコメント欄に書いてくれた。それで、「そうだ、忘れたくないのだ」と気がついた。 『そうだ、私がやった』 「忘れたくない」と私が決めたのだった。 それに気づくと、何週間も私と一体になっていた苦しみが、ふと、消えてしまった。 思い出はそこにあり、思い出そうとすれば、何度も取り出せるのだが、もうそれに囚われているという感覚がなく、私はとても自由で身軽になっていた。 これこそ、ビックベアーが言っていたことなのだと思う。 『私がやった』と言い、事実を認めれば、その瞬間、何年にもわたってあなたを苦しめてきた状況に初めて正面から向き合ったことになる。すると、その状況を手放すことができ、あなたはその状況に苦しめられることは少なくなくなる。 本当にその通りだった。とても、とても、大切なレッスンだった。 私は自分の想いを「手放し」(忘れたのではない)、それをついに「放棄」した。 そして、自分の想いを 「解き放ち、あるがままに進ませる」 ことにした。 すると、驚いたことにその瞬間、私は、自分の想いから分離した。 分離して、今やその上空から、自分の想いを見下ろしているのだった。
February 10 空間的にとらえる~ネイティブ・アメリカンの教え何気なく開いた本のページに、探していた言葉を見つけて、はっとすることがある。 ほしいと思っていたものが、翌日に手に入って驚くことがある。 行きたいと思っていた場所を思い浮かべた数日後に、そこに誘われて驚くこともある。 宇宙はいつでも私を驚かし、私を喜ばせ、私を見るべきものへ、行くべき場所へ、会うべき人へと導いてくれる。 さて、今日、私が出会ったのは、ひさしぶりに開いたネイティブ・アメリカンの教えの本。 読んで、心がすっきり晴れた。この本には、混乱したエネルギーをひとつにまとめる力がある。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P108 物事のとらえ方には、「直線的」と「空間的」の二つのやり方がある。 どちらが良いとか、悪いとかではない。 「直線的」とらえ方では、まず一つの部分を取り上げ、全体が見えるまで次々に部分を積み上げていく。「空間的」とらえ方では、初めに全体をとらえ、次に、全体を作った部分を一つ一つを見る。 たとえば、こんなことがあった。ビッグ・ベア(ネイティブ・アメリカンのシャーマン)が、あるセンターでワークショップを開いていたとき、腕のいいコックがセンターを去ることになり、最終日に送別会が開かれた。送別会では、グループの一人が代表して、彼の料理の腕の良さについて彼を褒め、感謝した。 これは、「直線的」とらえ方だ、とビッグ・ベアは言う。コックには家族がある。家族の中から彼だけを取り出して褒めるのは、部分的であって、全体的とらえ方ではない。 そこで、ビッグ・ベアはすぐにこう付け加えた。「たしかに、彼の料理は素晴らしい。だが、彼が愛をこめて料理を作れるのは愛のある家庭があるからだ。彼を支える奥さんや子どもたちがいるからだ。このキッチンにいなくても、彼の家族はここにいて愛をこめて彼と一緒に料理を作っているのと同じだ。彼の料理への愛は、彼の家庭から湧き出ているのだ」 これが「空間的」とらえ方だとビッグ・ベアは言う。。全体を見るという方法だ。誰か一人だけを見るのではなく、その人の家族までも思いに入れるということだ。そこにいる人は、いつも誰かとつながっている。全体の一部なのだと思いを馳せるということだ。 たとえば、こんなこともある。 ビッグ・ベアの甥、ロバートが酒を飲みすぎているので、注意したいと思ったとする。そういう場合は、ロバートがいる席で、ビッグ・ベアはもう一人の甥、ウォルターにこう話しかける。 「ウォルター、もし、お前が落ち込んで酒を飲まずにいられないような気分になったら、考え直すようにしておくれ。私の知っている人が、仕事のストレスで飲みすぎて毎晩飲むようになり、ついには、朝から晩まで飲むようになって、奥さんは子どもを連れて実家に帰ってしまい、職を失い、ひとりぼっちになってしまった。彼はとても気の毒なんだ。後悔しても後の祭りだ。だから、酒で気を紛らわしたいと思って深酒をしそうなときには、私が言ったことを思い出しておくれ」 ネイティブ・アメリカンの礼儀では、年長者の言葉に質問を投げかけてはいけない。この場合、だから、ウォルターは、「その人とは誰ですか?」「なぜ、私にそんな話をするのですか?」などとは聞かず、じっと、ビッグ・ベアの話に耳を傾けることになる。 すると、その話を聞いていたロバートは、こう思う。「うわあ、俺はそんなにひどいことをしていたのか。今度からは気をつけよう」 これが、彼らのやり方である。直接、「直線的」にロバートに注意はしない。ロバートを傷つけ、怒らせることは何の役にも立たないからだ。そこで、「空間的」にロバート以外の場所でメッセージを伝える。それをロバートが感じ取り、全体の話からエッセンスを取り出せばそれでいい。 なんという、精妙な生き方だろう。私たちは一人一人が切り離されているのではなく、空間のなかでお互いがつながっている。自分の発した言葉の精妙なエネルギーは、空間の海に起こるさざ波のように誰かの元に届くのだと信じられている。空間の海に生きる人は、愛に基づいて生きているのだと思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ しばらくは、「空間的」に物事をとらえられるよう、そこにある広がりに思いを馳せてみよう。 空間の海を通して伝わる、自分の言葉、自分の行動に愛をこめてみよう。
"The Wind Is My Mother"by Molly Larkin, Barkley Books, New York より引用して和訳。
January 23 自分で癒す~ネイティブ・アメリカンの教えP92 私たちの習慣では、 手に何も持たずに誰かに「ありがとう」と言うことはむずかしい。 いつでも私たちは、 感謝のしるしに何かを差し出したいと思う。
P94 なにかを祈り、それが与えられたときには、 かならず、 感謝しなさい。 私たちはそう、教えられる。 感謝すれば、 さらに多くの祝福がやってくる。
P101 あなたが善い目的を持ち、 それを達成したとき、 人生は生きるに値するものになる。
P106 愛とゆるしは同義語である。 愛とゆるしの間には、 ほとんど何のちがいもない。 神はゆるしである。 わたしたちが「神は愛です」というのは、 「神はゆるしです」といっているのと同じことである。
P113 仲間を指さして軽蔑したり、 批判したりしてはいけない。 なぜなら、あなたが指さしたとたん、 今度は仲間の3人が、 あなたを指さすだろう。
P114 ネガティブな気持ちを持ったときには、 代わりにポジティブな気持ちを持つようにしなさい。 ネガティブとポジティブは 両方同時に存在することはできないのだから。 ポジティブな気持ちで すべてを浄化してしまいなさい。
P114 人生におこる、あらゆる困難な出来事に 感謝しなさい。 その、ひとつ、ひとつから 私たちは学ぶことができるのだから。
"The Wind Is My Mother"by Molly Larkin, Barkley Books, New York より引用して和訳。
January 22 奇跡をおこす押入れを整理していたら、日記が出てきた。表紙に「2004年5月19日~」とあるから、夫が亡くなる2ヶ月前だ。ノートの表紙には、「奇跡をおこすノート」と書いてあった。 この頃は、やみくもに苦しかった。じわじわと病にとりこまれていく夫と向き合いながら、日々、喘いでいた。苦しかったのは、夫と向き合っていたことではなく、自分らしさを失っていくことだった。自分はどんな夢を抱いていたのか。自分らしくのびのびと生きるとはどんな感覚だったか。そういうものが、日々、どこかに押しやられ、失われていくことが何よりもつらかった。 私はなんとか出口を見つけたくて、「奇跡をおこすノート」というタイトルをつけたのだろう。ノートの2ページ目には、「招待」という名の手紙が書き写してあった。 私は、あらためて手紙を読み始めた。すると、最初の一行に強く惹かれた。そうして読み進めていくうちに、背筋を正して自分と向き合わなければいけない、自分から逃げてはいけない、というような気持ちになった。厳しくやさしい愛情があふれていた。私がこの手紙から奇跡をおこす力をもらったことは、まちがいなかった。 果たして奇跡はおこったのだろうか。この手紙を書き写してから半年後、突然の出来事と偶然の出会いに運ばれるようにしてネイティブアメリカンの聖地に立っていたのだから、奇跡はおこったのかもしれない。 そして、今もまだ、おこりつつあるのかもしれない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「招待」 あなたが生活のために何をしているかは、どうでもいいことです。私は、あなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのかを知りたいと思います。 あなたが何歳かということも関係のないことです。あなたが、愛や夢や冒険のためにどれだけ自分を賭けることができるか知りたいのです。 あなたが、どの星座の生まれかということもどうでもいいことです。あなたが本当に深い悲しみを知っているか、人生の裏切りにさらされたことがあるか、それによって傷つくのが怖いばかりに心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。 あなたが、自分のものであれ、人のものであれ、痛みを無視したり、簡単に片づけたりせずに、それを自分のものとして受け止めているかどうかを知りたいのです。 また、喜びの時は、それが私のものであれ、あなたのものであれ、心から喜び、夢中になって踊り、恍惚感に全身をゆだねることができるかどうかを知りたいのです。気をつけろとか、現実的になれとか、たいしたことはないさ、などと言わずに。 私は、あなたの話すことが本当かどうかには関心がありません。私は、あなたが自分自身に正直であるためには、他人を失望させることでさえ、あえてすることができるかどうかを知りたいのです。 たとえ裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりはその非難に耐える方を選ぶことができるかどうかを。たとえ不実だと言われても、そんなときにあなたがどうするかによって、あなたという人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。 私は、あなたが本当の美がわかるかを知りたいのです。それが見た目に美しく見えない時でも、毎日そこから本当に美しいものを人生に汲み上げることができるかどうかを。 私は、あなたがたとえ失敗しても、それを受け止めてともに生きることができるかどうか、それでも湖の縁に立ち、銀色に輝く満月に向かってイエスと叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。 あなたが、どこに住んでいるか、どれだけお金があるかはどうでもいいことです。それよりも、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれどんなに疲れ果てていても、また、朝が来れば起き上がり、子どもたちを食べさせるためにしなければならないことをするかどうかを知りたいのです。 あなたが誰を知っているか、あなたがどうしてここに来たかは関係ありません。私とともに決してひるまずに炎の只中に立つことができるかどうかが知りたいのです。 あなたがどこで、何を、誰と勉強したかはどうでもいいことです。私が知りたいのは、皆が見捨ててたった一人になった時、あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。 私は、あなたが自分自身としっかり向き合い、その何もない時間の中にいる自分を心から愛しているのかどうかを知りたいと思っているのです。 オライア・マウンテン・ドリーマー (ネイティブアメリカンの長老) January 19 シャーマンの心得2~ネイティブ・アメリカンの教えP58 自分の回りで起こっていることに 常に気づいていなさい。 それが、あなたの命を救うことになる。
P62 ただ、やみくもに歳を取ってはいけない。 学びなさい。 あなたは、生命という贈り物を授かったのだから。
P81 力を得るとは、すなわち 大いなる力が あなたのからだを使って働くということである。 力があると思われたいがために力を追い求めるなど、 私たちは考えもしない。
P82 たとえば、岩、水晶、宝石など 地球から受け取る硬い物には、 どんな歴史やエネルギーが蓄積されているかわからない。 だから、それを手に入れたら4日間土に埋めなさい。 5日目に掘り起こしたときには、すっかり浄化されている。
もし、布でできたもののエネルギーを浄化したいときには、 陽の光に4日間さらしておきなさい。 太陽の光がすっかり浄化してくれる。
"The Wind Is My Mother"by Molly Larkin, Barkley Books, New York より引用して和訳。
January 11 美しさの中を歩く~ネイティブ・アメリカンの教えP17 人生に美しさをもたらすためには、ハーモニー(調和)を大切にしなさい。 すべてのものと調和していなさい。 そして、なによりもまず、自分自身と調和していなさい。 人生の旅の途中では、いいこと、わるいこと、たくさんのことが起こる。 誰かがあなたの意見に反対を唱え、あなたの人生を支配しようとするかもしれない。 しかし、この言葉を覚えておきなさい。 ハーモニー(調和)。 ハーモニーはすべての問題を中和し、あなたの人生が美しくなるように助けてくれる。 美しさの中を歩きなさい。 美しさの中を歩きなさい。
"The Wind Is My Mother"by Molly Larkin, Barkley Books, New York より引用して和訳。
私が生まれて三日目に~ネイティブ・アメリカンの教えP3 私が生まれて3日目のこと。母は家の近くの丘の上に私を抱いて行き、私を大自然に紹介した。 最初は、四つの方角に。東、南、西、北。 「この子に祝福をお与えください。私たちは、いつもあなたたちに囲まれ守られています。どうか、この子を守り、この子の人生がバランスの取れたものになるように助けてください」 次に、私の小さな足を母なる地球に触れさせて。 「母なる地球、祖母なる地球よ。この子が大きくなったなら、あなたの上を歩き、あなたの上で遊び、あなたの上を走るでしょう。私は、この子が大きくなるにつれ、母なる地球に敬意を払うよう、この子に必ず教えます。どうか、この子がどこへ行こうとも、この子を守って助けてください」 次に、太陽に向かって。 「父なる太陽、祖父なる太陽よ。この子が大きくなるように、この子の頭上に輝いてください。どうか、子のこの身体だけでなく、心の隅々までが無事に育ち、日に日に強くなりますように。たとえ、どこにいようとも、あなたの温かい愛の溢れるエネルギーで、この子を包んでやってください。この子の人生の行く先には曇りの日もありましょう。けれども、あなたはいつもそこにいて、輝いていることを知っています。この子の身体を通して輝いて、いつでも彼を安全に守ってやってください」 次は、風に向かって私を抱き上げて。 「この子を覚えておいてください。時にはあなたは激しく吹き、時には優しく吹くでしょう。この子がこの地球に住む限り、いつでもあなたの存在に感謝するように、彼を育ててやってください」
P4 次に、水に向かって母は言った。 「水よ、私たちはあなたなしでは生きられません。水は命です。どうか、この子の喉が渇かないように、この子を助けてやってください」 それから、灰を私の額にのせ、 「火よ、この子の人生の障害物をどうか燃やし尽くしてください。彼の行く手を平らかにし、彼がつまづかないようにようにしてください。すべての生命を愛し、尊敬することを学ぶ道を難なく歩けるようにしてください」 そして、その日の夜、私は満月と月に紹介された。 このようにして、私は自然に見守られて育った。 母なる地球のくれた草原を走り回り、空気を吸っては命を育み、空気を吐いては毒を出して大きくなった。 私たちはみな、自然とつながっている。 私たちの部族は古くから、水や大地や植物や、あらゆる生命とつながっていた。子供たちは、生まれてすぐに自然たちに紹介され、決して自然を見下げたり、見上げたりしないように育てられる。 私たちは、自然の一部であり、自然と同じところに立っている。 私たちは、草の葉一枚一枚に敬意を払い、木の葉一枚一枚に敬意を払い、すべてのものに敬意を払う。
"The Wind Is My Mother"by Molly Larkin, Barkley Books, New York より引用して和訳。 January 09 シャーマンの心得~ネイティブ・アメリカンの教えP44 力に訴えてはならない。 あなたが自分自身に忠実であるなら、 自己を防衛する必要はない。
P49 断食しなさい。 あなたが空腹になったときにのみ、 教えを受け取ることができる。
P53 自分の中にあるプライドやエゴや自尊心を取り除いたとき、 私たちは空っぽであり、 何か「良いもの」を入れて運ぶための容器なのだと気づく。 智恵を受け取り、それを必要とする全ての人と分かち合うための、 道具なのだということに気づく。
P54 何かを自分自身で経験してみるまでは、 決して何かを「知っている」と言ってはいけない。
P56 シャーマンになるために最も困難だったことは、 起こっていることを判断せず、感情的に巻き込まれることなく、 ただ、観察するということだった。 それは、冷酷になるとか、鈍感になるということとは違う。 私たちは自分の感情をコントロールしてこそ、他人を助けることができる。 それこそが、真に人を助けることができる力を使うための有効な方法である。
"The Wind Is My Mother"by Molly Larkin, Barkley Books, New York より引用して和訳。
January 07 イニシエイション~ネイティブ・アメリカンの教えP19 年長者に尊敬の念を持って接すること。 そうすれば、あなたはすべてに対して尊敬の念を持つことになる。 自然や、すべての生命体にまで。
P21 男の子たちは、叔父や祖父から教育を受け、 女の子たちは、叔母や祖母から女性としての生き方を教わる。
P38 マスコギー族では、子供の頃に「よき受け取り手」になることを教えられる。
誰かが何かをくれたときには、 それが、大きいものであれ、小さいものであれ、こう言いなさい。 「グレート・スピリットは、贈り物のサイズにこだわらない。 大切なのは、それがどのように贈られたかである」
P39 「あなたは私よりはるかに物事をご存知です。 どうか私に代わって問題を解決してください」 大いなる存在に向かって、 それを心から言えるようになることが、 私たちの最大の戦いである。
"The Wind Is My Mother"by Molly Larkin, Barkley Books, New York より引用して和訳。
January 04 バランス~ネイティブ・アメリカンの教え「The Wind Is My Mother」というタイトルの本を読んでいる。 ビックベアーという名のネイティブ・アメリカンのシャーマンとともに生活した白人女性が書いた手記だ。 昨日は、ビックベアーの子供の頃の手記を読んだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ネイティブ・アメリカンの子供たちは、女の子は叔母や祖母から、男の子は叔父や祖父から教育を受ける。 ビックベアーの叔父、ジョナス・ベアーは幼いビックベアーにこう教えた。 人間は昔は動物と話すことができた。ところが、私たちは彼らの命を食物として取らなければならなくなり、そのときから動物と話すことができなくなった。そのうちに、魚さえも人間に対して怒りを感じ始め、人間は鹿の病気や魚の病気にかかるようになった。 人々は動物、魚、鳥たちと集まって会議を開き、彼らにこう申し出た。「我らの親類たちよ、私たちは生きるためにあなたたちの命が必要なのです。私たちが狩りをするときにはあなたたちが苦しまないように、素早く命を奪います。時がたてば、我々の身体は母なる大地に深く埋められ、あなたたち動物のえさになるような植物を育てる糧になるでしょう。命のサイクルを共に作り、すべての命の存続のために、命の交換をいたしましょう。それゆえに、我々の人々の病気が良くなるように、どうか私たちに教えてください」 そこで動物たちは病気の治療法を教えてくれ、我々が娯楽のために彼らを殺しているのではなく、飢えている人々のために狩りをして、動物の身体のすべてを余すところなく使っていることを理解してくれた。 そのために、我々人間が約束を守っている限り、私たちは病気にならなくなった・・・と。 このようにして、ネイティブ・アメリカンの子供たちは、幼い頃からこう教えられる。 「決して怒りから動物を殺してはならない。また、何匹殺せるかという競争のために動物たちを殺してはならない。生命の存続に必要最低限だけの命を奪い、決して動物たちへの尊敬の念を忘れてはならない。もし、どうしても殺さなければならないときには、動物に捧げ物をして、動物に話しかけなさい。私は私の家族のために、あなたの命が必要なのです、と。」 子供たちは武器をうまく使えるようになるまで狩りをすることは許されない。どの動物のどこを射れば苦しめずに殺すことが出来るのか、解剖学的に教えられ、射止めた動物を持ち帰ったあとにも動物に捧げ物をし、動物の命に敬意を払い、なぜ尊い命を奪ったのか、説明する儀式をしなければならない。 また、子供たちは最初の狩りの獲物を自分で食べてはいけない。誰か、年長の人に捧げるのがならわしだ。そうして、誰かのために殺してこそ、動物を殺すための理由になるのであって、自分のために殺したのでは偉大なるハンターにはなれないのだ。 ビックベアーが初めて狩りをしたのは、8歳のときだった。初めての獲物はリスだった。 彼はスリングショットでリスを撃つ前に、教えに従ってリスに話しかけた。「小さな私の兄弟よ。僕の叔母さんは病気で目が見えなくなってしまった。君はその病気を治すことができる薬になると知っている。僕は叔母さんのために、何でもしてあげたいと思っている。だから、君の命をもらうよ。そして、僕が死んだ時には僕の身体は土になって、君たちの仲間が食べる食べ物を育てる糧になるのだよ。君を長く苦しませることはしないから。僕には君の肉が必要なんだ。僕は叔母さんへの愛から君の命を奪うのだよ」 そうして、彼は一発でリスを仕留めた。それから、リスの頭の上に手をかざし、「Mah Do」(ありがとう)と言って手を回した。手を回すのは、生命の循環を表す儀式なのだ。 それから毛皮をはいで、リスがいた木の下に埋めた。これは、その土の中からもと多くのリスが生まれるように。 そして、家に戻るまで、リスの身体を土に落とさないように気をつけた。獲物を落とすのは獲物に大して礼を欠く。たとえ望まなくても、動物が我々に命をくれたということは、かけがえのない贈り物なのだから。 こうして、ビックベアーはリスを持ち帰り、叔母さんの娘にリスを渡し、手を洗いに外の水場へ行った。 大きな音がしたのは、そのときだった。彼は驚いて後ろを振り向いた。叔母さんの娘が、リスの死体で、彼の尻を思い切り叩いたのだ。 それは、熟練したハンターになるための、もう一つの儀式だった。彼女はリスの代わりに彼を叩いたのだ。まるでリスが彼に怒りをぶつけるかのように、激しく彼を叩いたのだった。 それで初めて、ハンターと獲物は平等になる。 ネイティブ・アメリカンにとっては、それが、すべてのバランスを取るすべなのだ。 彼がリスの命を奪ったことに罪悪感を持たないように。彼がその後も偉大なるハンターになるために、それは必要な儀式なのだった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ネイティブ・アメリカンは、大いなる宇宙、大いなる自然、すべての命とつながっている。 彼らがもっとも重んじるのは、ハーモニー。すべてのものとの調和。そして、バランス。 私は彼らの物語を読むたびに、自分のなかのバランスを取り戻す。 ネイティブ・アメリカンの生き方を知ることが、今、私たちにとって大切なことなのではないかだろうか。 なぜだか、そんな気がする。
"The Wind Is My Mother"by Molly Larkin, Barkley Books, New York より引用して和訳しました。
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