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September 06 流れとともに引っ越したばかりで、また引っ越し。
戸惑ったけれど、一度、受け入れてしまうと、流れとともに生きるのが、楽しくなりました。
荷物をどんどん捨てるにつれて、身も心もどんどん軽くなっていき、とうとう、今日の夕方には、とても豊かな気持ちになっていました。
物を手放すことが、豊かさなのだとは、思ってもいませんでした。
心の中から湧き出てくるこの豊かな気持ちが何なのか、わからずにいると、タオの言葉の中に、こんな文章を見つけました。
Those who have little
seem filled with abundance
They have compassion and care for others
Their friendship
are as valuable as pure gold
物持たぬ者は
豊かさに満ち溢れているように見え
自分よりほかの者を慈しみ、気遣う
彼らの友情は
気高く 純金のようだ
物持たぬ者は
豊かさに満ち溢れ
そう、あれは、この感覚だったのです。
不思議に満たされて、微笑が浮かぶような。
本当に穏やかな気持ちでした。
March 15 タオのライフにつながるP34 ぼくらはひとに 褒められたり貶されたりして、 びくびくしながら生きている。 自分がひとにどう見られるか いつも気にしている。しかしね そういう自分というのは 本当の自分じゃあなくて、 社会にかかわっている自分なんだ。
もうひとつ 天と地のむこうの道(タオ)に つながる自分がある。
そういう自分にもどれば 人に嘲られたって褒められたって ふふんという顔ができる。 社会から蹴落とされるのは 怖いかもしれないけれど、 タオから見れば 社会だって変わってゆく。だから 大きなタオの働きを少しでも感じれば くよくよしなくなるんだ。 たかの知れた自分だけど 社会だって、 たかの知れた社会なんだ。
もっと大きなタオのライフに つながっている自分こそ大切なんだ。 そのほうの自分を愛するようになれば 世間からちょっとパンチをくらったって 平気になるのさ。だって タオに愛されてる自分は 世間を気にしてびくつく自分とは 別の自分なんだからね。
社会の駒のひとつである自分は いつもあちこち突き飛ばされて 前のめりに走ってるけど、 そんな自分とは 違う自分がいると知ってほしいんだ。
「タオ-老子」 加島祥造 (筑摩書房) より 抜粋して引用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ずいぶんと、くたびれていたみたいだ。 ここのところ、ひさしぶりに(!)無理をしたので、 気づいたら、からだとあたまが、ずいぶんとくたびれていた。 「よし、今日は休み!」と決めて、昨日は鍼へ行った。 鍼の先生はわたしのからだをそっとさわると、神業のように鍼を打ち、お灸をしてくれた。 すると、あっという間にわたしのからだとあたまが、ゆるゆるとゆるんで、 うふふっ、と笑い出したくなったのだった。 帰り道、ふふふん、とハミングしながら見上げると、 空はソーダアイスみたいな水色で、薄桃色のふんわりした雲が、 いくつも、いくつも、浮かんでいた。 ああ、愛されてるな、わたし。 大きないのちのゆりかごに揺られて、しあわせだな。 ハミングしながら、そう思った。 あの感じ。ゆったりと、大きくてあったかい、いのちのなかを漂う感じ。 あれが、タオのライフにつながるってことなのかもしれない。 タオに愛されてる自分を見つけるって、あういうかんじなのかもしれない。 もっと大きなタオのライフに つながっている自分こそ大切なんだ。 そのほうの自分を愛するようになれば 世間からちょっとパンチをくらったって 平気になるのさ。 そう、あのとき、わたしは平気だった。 たぶん、どんなパンチをくらっても、へへへん、って言っていられるくらい、 くつろいでいて、やわらかかった。
March 12 Returning-道(タオ)の原理P44 道(タオ)のなかを 最も深く貫いている動きは何かと言えば、 returningなんだ。 re-turn - 再び転じること。それは私が 反、復、回、周、還といった言葉で 幾度も語る動きだ、それは 大きく転じて戻ってゆく。そして この動きは 弱いと言えるほどゆったりしている。 水のような柔らかな動きだ。 それは どこへ戻ってゆくのかって? あの非存在、名のない領域へだ。 あらゆる存在は確かに実在しているのだが、 いま「有る」存在はみな 「無い」のなかに戻ってゆく。 そしてそれはふたたび 「有」の存在のほうへ 「名のある領域」へ、反転してゆく。 だから道(タオ)の動きは 深くて大きいと言うんだ。
「タオ-老子」 加島祥造 (筑摩書房) より 抜粋して引用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 昨日、祖母のお葬式に行った。祖母は93歳で天寿をまっとうし、タオで言うところの「非存在、名のない領域」へ戻っていった。 葬式で、何年ぶりかに叔父に会った。叔父にポールさんの話をすると、叔父は、砂漠に木を植える活動をしている会のメンバーになっていて、ゴビ砂漠まで木を植えに行ったことを話してくれた。 「ポールさんが5月31日に愛・地球博でスピーチをするよ」 叔父に告げると、叔父は「ぜひ、それに行ってみよう」と言い、「本ができあがるのを楽しみにしているよ」と言ってくれた。 素直にうれしかった。 今、自分がしている仕事は、きっと、たくさんの人が待ち望んでいることなんだ。たくさんの人の役に立ち、社会の役に立ち、地球の役に立つことなんだ。大きな目的のために、私は生きているんだ。そう思った。 そして、はっきりと、自分の人生の流れが変わったことに気づいた。 「自分と家族のためだけに生きていた時代」から、「もっと大きな目的のために生きていく時代」へ。 今、私の人生は、ゆったりと変化して、小さな支流から大いなる流れの中へ移りつつある。 そう。 祖母の命は、 いま「有る」存在から 「無い」のなかに 戻ってゆき 私の命は、 「有」の存在のほうへ 「名のある領域」へ 本を生み出すという仕事へとむかっている。
March 05 ただ、愛してる。誰かを愛し始めると、ピュアではいられなくなるものなのか。 「私はあなたを愛している。だから・・・」 「私はあなたをこんなに想っている。だから・・・」 そうやって、「だから」という言葉がついて回る。 「だから」のあとには、たくさんの欲求。好きな人に対しての、たくさんの注文。 「ただ、愛してる」 ピリオド。 それで終わり。 そのあとに、何もつかない。 そういう愛し方がしたいと思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P26 われら心と肉体を持つものは ひとたびタオの道につながれば 身体(からだ)と心は離れないようになる。 精気(エナジー)にみちて柔かいさまは 生まれたての赤ん坊みたいだ。 その無邪気な 心はよく拭った鏡みたいに澄んでいる。 その人が国を治めれば ただ民を愛するだけで充分なんだ。
天と地の出てきた神秘の門 あれを開いて、母と遊ぶことができるんだ。 無理に知ろうなんてしなくても 四方八方、とてもよく見えてくる。 もちろんタオの人も 産んだり愛したり養ったりするさ、 しかしそれを自分のものとしない。 熱心に働いても 自分のしたことだと自慢しない。 ひとの先頭に立ってリードしても けっして彼らを支配しようとしない。
これを玄徳と言うんだ、すなわちそれは ひとの玄(おく)にある深い力が、 いちばんよく働くことなんだ。
「タオ-老子」 加島祥造 (筑摩書房) より 抜粋して引用 February 25 天と地の在り方もっとひろびろと、大きな空のようになりたい。 雲がどこに流れて、どんな風に散っていくのか。 夕日がどこにあって、どこを照らしているのか。 そんなことなど気にせずに、愛する人をただ包んでいる。 そんな空になりたい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そんな気持ちでぼんやりしていたら、今日は、「タオ」に出会いました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P19 天はひろびろとしているし、 地は果てしなくて、 ともに 長く久しくつづくもののようだ。 それというのも、天と地は 自分のために何かしようとしないで、 あるがままでいるからだ。 だから、長く、いつまでも、ああなんだ。
タオにつながる人も この天と地の在り方を知っているんで、 先を争ったりしない、そして いつも、ひとの いちばん後からついてゆく。 競争の外に身をおいて無理しないから、 身体は長保ちするわけだ。 つづめて言えば、 我を張ったりしない生き方だから、 自分というものが、 充分に活きるんだ。
「タオ-老子」 加島祥造 (筑摩書房) より 抜粋して引用
February 08 命はあなたを愛しているあなたの命は 誰よりも あなたを愛しているんだ 命はあなたが 夕暮れの林のなかを ひとりで歩いている時も あなたと共にいる- ほかのことは 忘れたっていいんだ だが忘れないでほしい 命はいつもいつも あなたを愛している 加島祥造
「タオにつながる」加島祥造 (朝日新聞社) より引用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 心が乱れ、自分と切り離された状態で途方に暮れていた。 苦しくて、どうにか抜け出したくて手に取った本に、この詩が載っていた。 読んだとたん、心がすっと静かになった。それまでの心の乱れは止み、私は自分の中心に戻った。
命はいつもいつも あなたを愛している
なんと素晴らしい言葉だろう。
命はいつもいつも あなたを愛している
これからも、くりかえし、この言葉を私は唱えるだろう。 心が不安になるたびに。心が淋しくなるたびに。
命はいつもいつも あなたを愛している
命はいつもいつも あなたを愛している
January 28 ゆるやかなこころ選ばない、ということも選択なのだ。 ふと、思った。 ああしたい、こうしたい。ああなってほしい、こうなってほしい。そう思うと、執着が生まれる。 執着が生まれると、「そうならなかったら?」という不安が生まれる。不安が生まれると息が詰まる。 だから、選ばない。 どっちでもいいか、とゆるやかに思ってみる。どうなっても流れにまかせてみよう、と思ってみる。 すると、すきまができる。深呼吸ができる。 自分の執着みたいなものを、手放すことができる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P75 タオは自然(ネーチャー)を通して われわれに語りかける。 その語るところに従う人は 何をしても、跡を残さない。 その人の言葉は、ひとを傷つけない。 ひと廻り大きな計算だから、 ソロバンも計算機もいらない。 もっと大きな力の開け閉めに任すんで 鍵なんか使わないでいる。 たとえば母と子の関係のように 縄で縛りもしないのに、 結び目はほどけない。
だからタオの人は ひとにたいして自然な気持ちでいるんだ。 誰を選び誰を捨てるなんてことはない。 善い物ばかり選ぶなんてこともしない。 こういう態度はね 世間の判断に従うのではなくて タオの自然に従う行為なんだ。
言いかえると、 「善い人間」と「悪い人間」とは ただ表裏のことにすぎないと知っている。 「善い人間」が「悪い人間」の手本だとすれば、 「悪い人間」は「善い人間」が学ぶ材料、 いわばそれがなくては 「善」を知りえない大切な元手だよ。
こういう大きな関係を学ばないで ただ実利や知識ばかり追う人ってのは 霧に迷っちまってるのさ。 その霧の向こうに タオの要妙(シークレット)が潜んでいるのさ。
「タオ-老子」 加島祥造 (筑摩書房) より 抜粋して引用
January 21 いつも「自分」でいること「タオー老子」(筑摩書房)の著者、加島祥造先生とはじめてお会いしたのは、大学の教室だった。たしか、アメリカ文学の授業だったと思う。加島先生はフォークナーの訳者としては第一人者で、その筋では大変有名な方であった。 「仙人みたいだ」 それが、加島先生の第一印象だった。ほっそりした方で、お洒落で、顎ひげをはやされていた。静かな物腰だが、その奥に誰が何としても動かしがたい頑固さを持っているようでもあった。穏やかな話しぶりだが、その奥に激しい情熱を秘しているようでもあった。私は、なぜかわからないが先生のことが好きであった。先生がふらっと教室に入って来られる様子や、そこに広がる不思議な空気にとても惹かれた。 一度だけ、先輩たちと先生のお宅にお邪魔したことがあった。竹林に囲まれた一軒家だったような気がするが定かでない。先輩たちはアメリカ文学について先生と議論をしていたように思うが、私にはさっぱり訳がわからなかった。覚えているのは、先生が少年のように瞳を輝かせて議論をしていたことと、ただ、ただ、加島先生のたたずまいの不思議さに見入っていたことだけである。 先生は、いかにも茫洋とした大海のようでもあり、風のようでもあり・・・雷雨のようでもあり、優しい陽の光のようでもあり・・・智恵を蓄えた仙人のようでもあり、好奇心旺盛な少年のようでもあり・・・ともかくも、二十歳そこそこの私には、とらえどころのない方であった。 そんな記憶も薄れかけていた頃、本屋で偶然、先生の名前を見つけた。それが、「タオー老子」だった。それから、「伊那谷の老子」(淡交社)、「いまを生きる」(岩波書店)、「老子と暮らす」(光文社)と立て続けに読み、先生が大学を離れ、伊那谷でひとり、書を楽しみながら、老子を研究していらっしゃることを知った。 今思えば、加島先生は初めてお会いしたときから「タオの人」ではなかったかと思う。「僕はねえ、あんまり学校に来たくないんだよねえ」などど、教壇の上ではにかんだように微笑む先生は、常に「流れている人」でもあったし、いつも「自分」でいることを大切にしている人ではなかったか。 二十歳の私は、先生の、水のような、風のような、深く、広く、とりとめのないところに、惹かれていたのではないかと思う。
P41 むかしは タオをよく体得した人がいて そのありさまは 神秘的で暗く、遠く すべてに通じているようで どうにも測りようのない深さだった。 こういう人物を言葉で描こうとすると 比喩的な言い方をするほかない。
その慎重な態度は 危険な冬の川を渡る人のようだ。 用心ぶかいさまは 見知らぬ森を通る人のようだ。 落ち着いて油断のないさまは よその家を訪ねたお客みたいであり それでいて、人と交わるさまは 氷が融けてゆくような滑らかさだ。 その素朴な様子は 山から伐りだしたばかりの白木のようだし、 心の広やかさは、大きな谷を思わせる。 とにかく取りとめがなくて、 その点では濁った水みたいであり 濁ったままゆったりしているから いつしか澄んでくる - そういう 在り方なんだ。 安らかにくつろいでいるくせに いつの間にか動いている、 そしてなにかを生み出している。
こういう人だから 無理をしないんだ、 タオを身につけた人というのは 消耗しない。消耗しないから 古いものをいつしか新しいものにしてゆく。 いつも「自分」でいられて 新しい変化に応じられるのさ。
「タオ-老子」 加島祥造 (筑摩書房) より 抜粋して引用
January 16 水のようにP21 タオの在り方にいちばん近いのは 天と地であり、 タオの働きにいちば近いのは 水の働きなんだ。そして タオの人がすばらしいのは 水のようだというところにある。 水ってのは すべてのものを生かし、養う。 それでいて争わず、威張りもしない。 人の厭がる低いところへ、先にたって行く。 水はよほどタオの働きに 近いんだ。 タオの人は、 自分のいる所を、いつも 善いところと思っている。 心は、深い淵のように静かだ。 つきあう人をみんな善い人だとし、 自分の言うことは みんな信じてもらえると考え 社会にいても タオの働きの善さを見失わない。 その人は、手出しをしないで あらゆる人たちの能力を充分に発揮させ、 人びとは 自分のいちばんいいタイミングで活動する。
これをひと口でまとめると、 争うな、ということだ。
水のように、争わなければ、 誰からも非難をうけないじゃないか。
「タオ-老子」 加島祥造 (筑摩書房) より 抜粋して引用 January 12 関係の名前関係に名前をつけなければ、自由なんじゃないか。 と、ふと思った。 自分が誰かにとっての何なのか、相手が自分にとっての何なのか。 友人、恋人、愛人、妻、夫。 息子、娘、父、母、祖父、祖母、孫。 上司、部下、教師、生徒。 関係に名前をつけると、とても息苦しい気持ちになる。 そうだ、今日から関係の名前を取ってみよう。 そこには、自由な空間が生まれるかもしれない。 そこには、純粋な思いやりと愛が生まれるかもしれない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P4 名の有るものには欲がくっつく、そして 欲がくっつけば、ものの表面しか見えない。 無欲になって、はじめて 心のリアリティが見えてくる。
「タオ-老子」 加島祥造 (筑摩書房) より 抜粋して引用
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